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24日の被災地リポート

  • Posted by: 珈琲とエンピツ
  • 2011-03-24 Thu 15:25:06
  • days-AYA
24被災地


1時に取材が終わり、今、新潟に向かっています。

今日は10時に避難所になっている岩沼市総合体育館に行き、
宮城ろう学校の遠藤先生(ろう者)にインタビュー。
理科教師である遠藤先生は地震直後、理科室の薬品が漏れてないか調べるために理科室へ直行。
学校が爆発したら生徒や先生が命を落とすため、確認しに行きました。
耐震対策で厳重に保護してあったので大丈夫でした。

生徒は運動場に避難しましたが、雪が降ってきて、ますます寒くなってきました。
寒さに耐えられず、寄宿舎に移動、しかし、大きな余震があり、寄宿舎を出たり入ったりしました。
親が迎えに来て現在は全員家に帰れたとのこと。生徒や先生の家族は全員無事。
食べ物が足りず、生徒に配り、先生は食べずにブルーシートや椅子など必要なものをかき集め、
運動場にテントをはり、厳しい寒さの中、必死に動き回った。
宮城ろう学校の先生を誇りに思うと遠藤先生は、感涙極まった表情で話していました。

また、大阪の先生方から救援物質を送ってもらい、早く生徒の家に配りたいが、ガソリンがない。
どうしたらいいのか分からないと話していました。
卒業式もなく、新学期が始まる4月後半まで、1ヶ月間、生徒は同級生に会えない。
生徒にとって手話で話せるろうの集団が大切なのに、そのろう学校が被害を受けてしまったことは大打撃。
一番必要なのは心のケアだと話していました。

その後、避難所にいる2組のろう高齢夫婦に会うことができ、話を伺いました。
地震直後、近くにあるものにしがみつき、収まるのを待ち、大切なものをかき集めていたら、
近所の聴者が避難するように伝えて、すぐ出た。
その後、津波で家がなくなった。もし、家にいたら、津波にのまれ、死んでいたとのこと。
津波の音が聞こえないのは怖い。
避難所での情報保障は不十分で、ストレスが溜まっていると話していました。
その方たちの顔がマスクで半分隠れていましたが、疲れて調子も悪そうでした。

その後、そのろう者夫婦と一緒に被害を受けた家へ。
家は全くなく、地面のコンクリートや木で間取りがかろうじて分かる程度。
彼らは涙を流して、家があった場所を見つめていて、私は言葉をかけることがでませんでした。
この家は昭和時代に建てたそうです。
彼らが長年暮らしていた家が津波でなくなり、その心境はどんなものか。
想像を絶するものでしょう。

以下が、実際に家があった場所です。
ろう者夫婦の家

次はもう1組のろう者夫婦が、地震が起きた3/11まで経営していた床屋へ案内してくれました。
床屋のドアを開けると、泥水で泥水でぐちゃぐちゃになった椅子やタオル、床が目に飛び込んできました。
壁にかかっている時計を見ると地震が起きた2:48に止まっていました。
泥水の臭いがひどく、ハサミやくしもどろまみれになっていました。経営できない状態です。
いつまで避難所生活を続けるのか分からないと言っていました。

一緒に見に来た遠藤先生と別れる時に「目で聴くテレビ」が
携行用ガソリンタンクに入った20リットルのガソリンを渡したら、

これが一番欲しかった。これで生徒の家に食べ物を届けることができる。
どうもありがとうございますと深々とお辞儀をして感謝していました。

避難所にいるろう者には、トイレットペーパーやカロリーメイト、キャラメルを渡しました。
最初は「いらない、スタッフのご飯は?」と気にして、なかなか受け取りませんでした。
私は「今日帰るから大丈夫です」と渡し、「どうかお身体をお大事にしてください」と別れを告げました。
すると、我々に「お身体をお大事に」「車が泥水で汚れて申し訳ない」と気遣ってくれて…。
宮城のろう者は想像を超える被害を受けたにも関わらず、他の人を心配する。
本当に優しい方たちです。

昨夜の宮城ろうあ協会での会議で、久松さんは言っていました。
「東北人は我慢強い。助けを求めない。お金をくれと言わない。
でも、必要な支援を求めないと体がもたない。頑張れるのは1ヶ月。
その後が問題。皆が疲れない支援体制を作りたい」と。

全くその通りです。

疲れない支援体制を整え、一刻も早くろう者の安全と衣食住が満たされ、
普通の生活をして欲しいと願ってやみません。

壊滅的打撃を受けた場所は今後新しい街がつくられるでしょう。
この街を以前と同じではなく、耐震対策はもちろん、
障害のある人々にとっても快適に生活出来るようにバリアフリーの街にしていこうと
JDF(日本障害者フォーラム)会議で意見が出され、一致しました。
復旧が進みつつある宮城で、共に生きる社会づくりに向けて号砲が鳴った瞬間です。
長期的な取り組みが始まったばかりです。

以上、宮城からのリポートでした。

私たちも、出来ることを行動に移しましょう。

15時 今村彩子

今村彩子の被災地リポート

  • Posted by: 珈琲とエンピツ
  • 2011-03-23 Wed 21:03:08
  • days-AYA
こんばんは。Mamiです。

この度の東日本大震災には、胸が張り裂けるような思いでいっぱいです。


お亡くなりになった方々に、心よりご冥福をお祈りいたします。

そして、一日も早く被災された方々が笑って過ごせる日が来ますように
ただただ、祈るのみです。


現在、今村彩子は被災地にて取材をしてます。
現地からのリポートが届きました。

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宮城被災地2


22日15時半頃、「目で聴くテレビ」は宮城に入りました。
仙台市内は建物は大丈夫ですが、閉まっているお店が多くガソリンスタンドには長い車の列が見られました。

宮城ろうあ協会の事務所に行き、17時過ぎに宮城ろうあ協会の会長に会いました。
会長によると、宮城は地震が多く、皆慣れているが、今回は今までになく一番ひどい。
ろう者、手話通訳者みんなで協力しあって支援を進めていますとのこと。
電気、水はありますが、ガスが使えず、お風呂に入れない状態です。
コンロを使って調理したり、お湯を沸かしてタオルで体を拭いていると話していました。

取材中にも余震があり、不安な状態ということが伝わってきます。
避難所のろう者の状況を聞くと、食料や毛布などの情報がつかめず、周りを常に見て一緒に動く。
常に周りを見ていなくてはならず、ストレスが溜まっているとのこと。

6時から会議があり、7、8人のろう者、手話通訳者が避難所のろう者の情報交換をしました。
私が思っていたより皆は明るく笑顔でたくましく前向きに一つ一つの問題を解決していこうという気持ちが
すごく伝わってきました。

会長が県外からお見舞いと励ましのメールをもらってとても嬉しいと感謝していました。


今日は午前は仙台市内のホテルでJDF(日本障害者フォーラム)会議が開かれ、
全日本聾唖連盟の事務局長でもあり、JDFの副議長でもある久松さんと会長が参加しました。
10以上の障害者団体が集まり、それぞれの状況と国への要望を話しました。
午後は避難所、県庁、市役所を周り、津波の被害がひどい仙台空港へ行きました。

宮城被災地1

駐車場の車が津波で押しやられぐちゃぐちゃ、街灯も倒れて建物のガラスも割れて、無事なものが一つもない。
自衛隊が車を片付けていて、まるで戦後の光景を見ているようでした。
宮城の皆は私たち「目で聴くテレビ」のスタッフの泊まるところや食べ物、体調を心配してくれ、
胸が熱くなりました。

私たちができることは被災地で、ろう者が情報を得られず困っていることを伝え、
情報を手話と字幕で得られる社会にしていくこと。
そして、復旧に向けて日本が一つになり、私たち一人一人ができることを行動に移していくことです。

以上、宮城からのリポートでした。

今夜「目で聴くテレビ」で速報として流れます。

友達、家族、知人に伝えてください。

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